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女優・緑山まるみの生活 1.ぬいぐるみの数

 そのときの話で、私たちは毎年この日に会おう、ということになった。この日ならば会える確率が高い、と私も思ったから、すぐに了承した。私は劇団の女優なので、もし公演があったら、抜けられない場合があるが、この日なら、劇団の主催者であるアニキ(血のつながりはない。この話もいずれ)も、何も言わなくても、前日から休みにしてくれた。

 その次の年、花さんに会いに行くと、ぬいぐるみが置かれていた。ちょっと大きめの熊のぬいぐるみで、もうひとつ、猫のぬいぐるみがあったので、どうしたのかと聞いてみた。
何でも、私の娘へのプレゼントであるらしく、一年ごとにひとつ、まるで誕生日プレゼントのように、ぬいぐるみをプレゼントしたいと言っていた。
娘はまだ赤ちゃんなので、もちろんぬいぐるみは大好きだった。とても嬉しそうに熊の耳にかじりついたので、あわてて手で制する。
「よかったねー」
などと言われ、娘はさらに嬉しそうだった。今度は、猫のぬいぐるみをぶんぶん振り回し、大きく笑った。
「ほんとうに、ひまわりのようだね」

 娘が生まれて四年がたった娘の誕生日、忘れもしない、雨の日だった。
神戸からいつものように小包が届いていたが、その中に同梱されていた手紙を読んで、私は絶句した。いつもの、花さんの筆で書かれた手紙ではなかった。

“まるみさんとひまわりちゃんへ
  
  おばあちゃんは昨日、病院で亡くなりました。
  階段で転んで足の骨を折り、それからどんどん体力がなくなり、入院していました。
  まるみさんたちにお知らせしようとしましたが、おばあちゃんは「知らせないで欲し  い」と言って、いつものように過ごしていましたが、肺炎にかかってしまいました。
  
  毎日のように、「まるみさんに会いたい、ひまわりちゃんに会いたい」と言っていま  したが、お二人の写真と、ひまわりちゃんにあげる予定だったぬいぐるみを病室に飾  って、いつも眺めていました。
  いつも眺めているので、夫がもうひとつ、もうひとつと買ってくるうちに、いつの間  にかだんだん数が増え、たくさんになってしまいました。
  
  いつか、おばあちゃんのお墓参りに来て、このぬいぐるみを、おばあちゃんの形見と  して、もらっていただきたいのですが。”
 
 花さんの娘さんからの手紙だった。涙の痕が、残っていた。
 涙。
 涙。
 また、涙。
 まだ娘にこの涙の理由はわからなかったので、娘はきょとんとして、私を見上げていた。
降り続く雨を窓越しに見ながら、私は神戸に行くことを決意した。

 梅雨はまだ明けていなかったので、神戸はかなり蒸し暑かった。三ノ宮駅に降り立つと、娘さん夫婦が車で迎えに来てくれていた。
白いワンボックスカーは少々ぎこちない音を立てて、カーブを曲がった。
「疲れたでしょう」
私は疲れてなどいなかった。夕べはほとんど眠れなかったが、少しでも早く神戸に来たかったのだ。
「ぼっかけ、作ってありますから」
娘さんがそう言った。車は、どんどん走っていた。

 花さんたちは仮設住宅を出て、もとの家の近くのアパートに住んでいた。もとの家は全壊してしまったから、今は跡形もなくなり、駐車場になっている。
アパートの階段を上がっていく時、線香の香りが鼻をついたので、私は、実感せざる負えなかった。

 線香の煙が天井までまっすぐ伸び、部屋を覆い隠し、窓から少々差し込んでいる日光がそのアクセントとなった。
遺影に写りこんでいる花さんの笑顔は、最後に見た笑顔と同じものだった。それもそのはず、私が撮った写真だった。
買ったばかりのカメラで、娘と花さんを一緒に撮ったときの一枚だった。
「この写真って…」
「おばあちゃんの一番のお気に入りでね、私が死んだらこれを、って…」
そう言うと、娘さんは涙を流し始めた。
私は大きく息をつくと、しゃがみこんで、娘に話し始めた。
「神戸のおばあちゃんはね、死んじゃったんだよ。今、この箱の中にいるんだよ」
棺は思ったよりも小さくて、無機質で、入りたくはないな、と思った。
「もう、あえないの?」
もう、あえないのだ。もう…。

焼香を終えると、当たり前のように、ぼっかけうどんが運ばれてきた。
「あー、おいしそう!」
娘が無邪気にはしゃいだが、この暑い時期にうどんとはちょっと意外だった。
「うどんがおばあちゃんの好物でね」
そうだったっけ、と思い出しながら、一口食べた。関西風の辛いつゆが美味かった。熱いうどんを娘は小さな器に移し変えてもらい、ふうふうしながら食べていた。
「おいしいね」
「うん、おいしいね」
噛んでいるのが嬉しかった。飲み込むのがちょっと惜しかった。
私たちは、何も言わず、ぼっかけうどんを食べていた。

食べ終えると、娘が何個かあるぬいぐるみの一つで遊び始めていた。
「ママ、見て!おさるさん!」
ぬいぐるみは合計で五個もあった。さる、かえる、ぞう、いぬ、きりん。色とりどりの、ちょっとした動物園だった。
「かなりかさばるけど、持って帰ります?」
かさばるくらいがなんだ。花さんの思いがつまっているこのぬいぐるみを、持って帰らないわけにはいかなかった。

 梅雨明けはまだ先だったが、まるで夏のように晴れた青空を見上げながら、私は娘の手をひいて、大きなぬいぐるみを抱えながら、娘さんと駅まで歩いて行くことにした。

「孫の代わりに私が死ねばよかったのにねぇ」

花さんの言葉が、耳から離れなかった。
何事にも、生きることにも、死ぬことにも、順番というものはあるのだな、と私は常々思っていた。
みんな、知らないうちにその順番を守っているのかもしれないし、そうでないのかもしれない。
不平等な世界というが、どんな世界にも、順番が作用し、平等になることを妨げているのでないか、と、ちょっと哲学めいたことも考えてみた。

 神戸で被災して、私の人生は変わった。良くも悪くも。
おかげで多くの人と出会い、このように、一部の人とは別れてきた。
私にも、娘にも、この出会いと別れはよいほうに作用してくれるものと信じている。

 やけに暑い日だった。雲が、流れていった。

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女優・緑山まるみの生活 1.ぬいぐるみの数

女優・緑山まるみの生活

 1.ぬいぐるみの数

 私は、PTSDである。神戸で被災してからというもの、暗闇と地震が何よりも恐怖の存在となった。夜は、なおさら怖い。いつものように生活を続けようとしても、暗闇から聞こえないはずの声が聞こえる気がして、見えないはずの何かが襲いかかってくる気がして、思わず身がすくむ。当然、暗いままでは眠れるはずがなかった。
こんな恐怖感に毎日追い立てられ、思わず病院に行ってみたものの、カウンセリングやら薬の服用やら、到底自分のプラスになるとは思えないことばかり、医者という役割を担う人に押し付けられ、辟易した。
それでも、私には娘がいるし、仕事もあるので、一応は薬を飲むことだけはすることにしている。薬を飲むことで、娘も医者も、私が治療したがっていると思わせたかったからだ。
しかし、私は別に治療したかったわけではなかった。このままでよかったし、気がついたら治っていた、というのが理想だったからであるが、こんな私も女優の端くれである。
治療したがっている私を演じてみよう、と、ちょっとだけ悪戯めいた考えがよぎって、こんなことを続けている。

 神戸では何万人もの人が被災した。私もその一人で、結婚したばかりの夫を失い、右腕を骨折したものの、妊娠五ケ月目に入っていた私のこの体は無事だった。私は夫の両親とともに神戸に旅行に行っていた最中で、宿泊していたホテルが倒壊し、夫はホテルの下敷きになった。夫の足だか手だかわからないが、遺体の一部分を見てしまったとき、私は、独りになったのだと実感した。
ひどい吐き気を催しながら。
それからは無我夢中で生き延びようと、まず夫の両親を実家のある京都に何とか帰し、私は妊婦でありながら、一人で神戸に残って、ボランティアとして被災した人たち(自分もその被災者なのだが)のケアをした。ケアといっても、年寄りの話し相手になったり、炊き出しの準備を手伝ったり、いろいろと、その場でできることをしていた。
その時に何人かの人と親しくなったが、その人たちとは今でも交流が続いている。

今回は、そんな中で出会った、おばあさんの話を。

 そのおばあさんと初めて会ったのは、被災してから数日後の午後だった。
真冬の寒さが続く神戸市長田区の小学校の、西日が差し始めた体育館で、そのおばあさんは、頭に怪我をして血の滲んだ包帯を頭に巻き、小さな体をさらに小さくするようにして、涙を流して、座っていた。
「傷が痛むんですか?」
聞いてみても、答えはなかった。かなりのショックに襲われ、喋るどころではないのかと思い、近くにいたおばさん連中と話をし始め、話してくるのを待つことにした。
おばさん連中の話は、被災した直後とは思えないほど、屈託のないものだった。きっと、被災したショックを忘れたいと、みんなが思っていたに違いない。
「うちの娘が昔使っていたランドセルが見つかったのよ。ぼろぼろになって使えそうになかったけど、思わず持ってきちゃったわ」
なんて内容の話をしていたが、私は関東の生まれだし、おばさんはかなりの早口だったので、その後の話を聞いて、推理した結果、そんな話をしていたことがわかった。

 そのおばさん(名前を聞くと、園子というらしかった)の孫という女の子がその小学校にやってきて、私と一緒に食事の配膳を行っていた時のことだ。その女の子は7歳で、背が低くて、目がまん丸で、おかっぱ頭がかわいらしい女の子だった。私の名前はまるみだよ、と言うと、その女の子は、
「エー、ホンマー?まるちゃんもまるみって言うねん!」

ひょんなところで知り合った、同じ名前のこの子とは、実は長い付き合いになるのである。

こまるちゃん(小さいまるみちゃんなので、この呼び名になった)は、穴が開いたピンクのリュックサックを背負って、体育館の中をぴょんぴょんと飛び跳ねるように、そのおばあさんに近づいていった。ひょっとしたら怒られるのでは、と、ちょっとだけ恐れはしたものの、それは杞憂に終わった。
「まあまあ、これは可愛いお給仕さんだこと」
初めて聞いたおばあさんの声は、思ったより高くて、楽しげだったが、それは偽りのものであることはすぐにわかった。
「おばあちゃん、どうしたん?」
こまるちゃんは困ったように、おばあちゃんの背中をやさしくさすりながら、そう聞いた。おばあちゃんは、泣き出してしまって、やがて、その場にうずくまってしまった。

こまるちゃんはちょこんと座ったきり、おばあちゃんのそばを離れなかった。おばあちゃんの背中をやさしくさすり続け、おばあちゃんが泣き終わるまで待ってあげていた。こまるちゃんは、おばあちゃんが言ったようにお給仕さん(きっとこの言葉の意味はこまるちゃんにはわからなかっただろう)と言うより、天使と言ったほうがしっくりくるような気がしていた。
やっとのことで話してくれたおばあちゃんは、名前を花さんといった。花さんはもとは四国の人で、こちらの方に嫁いで50年になるという。夫は数年前にがんで亡くなり、今は娘夫婦や孫とこの近くに住んでいたのだそうだが、大地震で住んでいた家は倒壊し、孫娘が亡くなったんだそうだ。その孫娘はちょうど、こまるちゃんと同い年で、思い出してしまったらしい。

「孫の代わりに私が死ねばよかったのにねぇ」

そんな言葉が、何度となく花さんの口から漏れた。順番からすれば、自分が孫を見送るなどということはありえなかった、と何度も繰り返したが、全くその通りである。
実は、夫の両親も同じことを言っていた。私は、そんなことはない、夫のためにも、がんばって生きて、としか言えなかったが、そんなことは詭弁に過ぎない。
人間には誰にだって寿命があるが、寿命を知ることはできない。寿命を知ってしまえば、人は生きていく糧を失うかもしれないし、そうでないかもしれないが、生きる楽しみ(と言うより理由)を失うかもしれない、などと考えていると、こまるちゃんがこう言った。
「ほんなら、まるちゃんがおばあちゃんと友達になったるわ!」
子供のバイタリティーとはすごいもので、それまで暗かった花さんの顔がぱっと華やいだ。


 それから数ヶ月たって、私の家(ぼろいアパートだが)に小包が届いた。
神戸からの小包で、開けてみると、冷凍されたぼっかけが入っていた。ぼっかけは牛すじやらこんにゃくやらを甘辛く煮込んだ、神戸市長田区の特産品であり、私は大好きだった。白いご飯や焼きそばにかけると絶品で、何杯でもおかわりができた。
その時、ちょうど娘が生まれて半年がたっていたので、神戸に行こうと思っていた矢先で、私は神戸に行くことを決心して、その小包の中の手紙を開いた。
“まるみちゃんと赤ちゃんへ
  
  お元気ですか?
  神戸のおばあちゃんはとても元気ですが、東京へは遠すぎていかれません。
  今度、こっちに来てもらえませんか?
  おはなししたいし、ごはんもたべたいし
   
  
                         神戸のおばあちゃんより”

花さんからの手紙は初めてだったので、とても嬉しかった。ペンは使えない、と言っていた花さんは、筆でこの手紙を書いていた。とても達筆だったので、花さんは手紙を書くのがすきなのだな、と思ったりもした。

 神戸に行ったのはそれから一ヵ月後の、1月17日だった。
忘れられない、あの日。
私は前日のうちに神戸に入り、その日はボランティア仲間だった人の家に泊まらせてもらった。その人とは神戸の町を一緒に走り回り、辛苦をともにした仲だった。娘を神戸で出産した際も、この人に立ち会ってもらったほどだ。(この話はいずれのうちに)
娘の名前は、ひまわりのように育ってほしいという意味をこめて、“ひまわり”と名づけた。夫がいないシングルマザーの私にとっても、娘の存在はひまわりそのものと言ってよかった。
そんな娘を花さんに見せたくて、初めて乗る新幹線に大興奮する娘を必至で抑えながら、この神戸まで来たのだ。
花さんは、娘夫婦とともに仮設住宅で暮らしていた。プレハブ造りの、他の家と見分けのつかない仮設住宅だったが、なんとなく個性があるようで、家族というものはこういうものか、などと思ってみたりした。娘と二人だけの核家族でしかない私は、こういう家族になりたいなとも思った。夫という、重要な役割を担う人物がいないのが最大の弱点ではあったが。
家を訪ねると、花さんがこぼれんばかりの笑顔を振りまいて、私たちを迎えてくれた。花さんはすぐに娘をあやし始め、抱くと、こう言った。
「こうやって孫をまた抱けるだなんて、夢のようだよ」
こうやって、娘はもう一人のおばあちゃんを手に入れた。私も、花さんにそんなことを言ってもらえるだなんて、これ以上はない幸福だと言って、花さんを涙ぐませた。娘さん夫婦も、もらい泣きしていたが、その場の空気を読んだのか、娘も突然泣き出した。
私たちはなんだかおかしくなって、顔を見合わせて大笑いしていた。

つづく

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zeta357g

Author:zeta357g
「やつら、もう勝ったつもりでいるようですね」

「らしいな、では教育してやるか」

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